珈琲とJazzと巡礼…

「珈琲とjazzと巡礼と…」いつもの展望台から…

Ustream「いつもの展望台からご来光中継」などは http://ustre.am/1r5Yt

カテゴリ: 巡礼

こちら文章版の更新が少しおろそかになってきています。
最近、YouTubeへ投稿したものを埋め込んでみました。
いわば、Ustream版のヒット作Link集です。

随時 加除いたしますのでお楽しみください。
なお、これら動画に関するお問い合わせ、ご感想はメールで jazzywada@gmail.com までお願いします。

義武の起こした竜巻
日本の珈琲の父 三浦義武の遺徳を偲ぶ行事の最中、突如おこった竜巻です。義武は先駆的に缶コーヒーを開発、販売しました。ネル、冷水で淹れる彼独自のドリップ技術は、神英雄さん(声が入っています)らにより蘇り島根県浜田市内で「ヨシタケコーヒー」として楽しむことができます。
  



美のコーヒーをつくった石見人 三浦義武「もう一つの除幕式」
日本のコーヒーの父 三浦義武の遺徳を長く後世に残すため島根県浜田市紺屋町商店街に碑が建てられました。碑文に曰く「われわれは、絵画において富岡鉄斎、陶芸において柿右衛門を誇るがごとく、コーヒーにおいてかれを世界に誇っていいであろう。」(司馬遼太郎)
この動画は彼のお店のあった場所で行われた「もう一つの除幕式」の模様です。碑の建立、ヨシタケコーヒーの復元、普及、再評価などに尽力された神英雄氏(安来市加納美術館館長)並びに写真を提供くださいました浅野正彦氏(浜田ステーションホテル支配人)にあつくお礼申し上げます。
2015年9月12,13日「浜田でコーヒーを楽しむ会」(浜田市、JCS共催)で撮影 参考 「三浦義武 コーヒーに人生を捧げた石見人」神英雄「コーヒー文化研究 no.19」日本コーヒー文化学会 2012年12月発行
  



「CHEMEXに #松屋式 で湯刺ししました」
名器(?)CHEMEXコーヒードリッパーに、松屋式湯刺し(3分蒸らし、半量だし、倍希釈)してみました。中川(フレーバーコーヒー)お師匠さんのUstream「週間フレーバー」でも紹介されました。




珈琲巡礼 新神戸「布引の滝」を訪ねて

新神戸駅からほど近い「布引の滝」です。阪急西灘駅近くにあったjazz喫茶「 シュワルツ」は震災でそのお店とあるじを同時に失いました。マスターは2日に一度この滝を訪れ珈琲用に水を汲んでいたそうです。いまも変わらぬ滝の流れにそっと献珈琲を注ぎ、ご冥福を祈りました。




out of Studio"K"
過日実施した Studio"K"`で珈琲を楽しむ会終了後の "K"の様子です。
次のコメントが付されています。
 テスターひとつ持たないオーディオマニアはまったくのド素人だ。客観的な判断を排除する人間は大莫迦である。情緒の発露である音楽は実は綿密な計算の上に成り立っていることを知らないとしても、その再生装置は同様であってはならないとおもいます。




「寂れ行く福山市草戸稲荷卯之大祭」
某フェスティバルに押されて昔の面影、今いずこです。

般若心経のテキストが手元にない時に携帯のカメラなどで簡単に読み取れるQRコードに
変換しておくと便利なことに気がつきました。

もちろん、コピーFREEです。
携帯のカメラ等でQRコード読み取りモードにしてご確認ください。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五

蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不

異色色即是空空即是色受想行識亦復如

舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄

増不減是故空中無色無受想行識無眼

耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至

無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死

亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無

所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無

罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢

想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故

得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜

多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等

呪能除一切苦真實不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆呵

般若心経

 
さていかがでしたか?

以下の様な表記もあるので、ついでに変換しちゃいました。右為、記名も…

舎利子是諸法空相不生不滅不垢不

耳鼻舌身意無色香味法無眼界乃至


無意識界無無明亦無無明


亦無老死
無苦集滅道無智 亦無得以無


想究竟涅槃三世諸依般若波羅蜜多故

呪能除一切苦真不虚故説般若波羅蜜

諦波羅諦波 諦菩提

寫経願主 ◯◯



右為 大願成就


2015年7月2日


print outして持っておくと、電子入力にとても便利ですが、
こうやって入力して「お写経」と言えるかは…
甚だ、疑問?ですね(笑)。 筆者 
 

三種の神器(ジンギ)とは、広辞苑を引くまでもなく、
八咫鏡 八尺瓊勾玉 草薙剣
のことだが…

世の中には、実に様々の◯◯の種の神器が在るようです。

例えば、ハーブで言えば、

その昔、サイモン&ガーファンクルというハーモニーのとても美しい男性コーラスグループがありました。彼らのレコーディングした楽曲は青春映画「卒業」のテーマ、挿入歌として使われました。映画は大ヒットし、相乗作用でレコードもグレート・ヒットしました。そのヒット曲の一曲がスカボローフェアーなのです。その歌詞はあまりにも有名で、こんな小さな子どもでも、鼻歌で歌えてしまいます。
parsley、sage、rosemary and thyme それは歌のなかで、まるで呪文のようくりかえされます。美しいメロディーを伴って…

そんな土壌から、日本中のハーブマニアは、 スカボローフェアの歌詞を必ず意識してしまうようです。
ハーブを育てるからには、あの歌のように……と。
まるで魔法にでもかかったように口ずさみながら四つのハーブを揃えようとします。
四種揃えれば必ず1翻(イーハン)付くときっと麻雀大学で習ったのでしょう。
(わたしは、もちろん、こういう他人様とおんなじことをするに、 耐えられる人間ではありません。)

パセリ、
セージ、
ローズマリーそして
タイム
は(たまたま四種になってしまっていますが)確実にハーブ界の三種の神器ですね。


家庭菜園での三種の神器は、

But Peter,who was very naughty,ran straight away  to Mr.McGregor's  garden,And squeezed under  the gate! First he ate some lettuce and some French   beans;and then  he ate some  radishes;
From "The Tale of Peter Rabbit "(TM)Beatrix Potter 

レタス(萵苣(ちしゃ))
フレンチビーンズ(鞘隠元豆)、
ラディッシュ(二十日大根)

世界で一番有名 ウサギのーターに、ポター夫人がマックグレガーさんの庭で食べさせたから、
やはり、この3つの野菜は、家庭菜園界の三種の神器でしょう。


無理に、わたしがこちら(ホリエモン社)のBlogで取り上げたものばかりを書いていますが、ことほど左様に◯◯の三種の神器と呼ばれるものは、枚挙に暇がないのです。

オーディオの三種の神器はMacintosh 275、ALTEC a7、JBL 4343でしょうか。いや、五味さんに敬意を表しTANNNOY オートグラフも入れておきます。
いや、アンプだけでもクウォード、マランツ、マークレビンソン、ダイナコ…あーいくらでもありますね。
真空管(出力管)の三種の神器は(ちょっとマニアック過ぎますか?)当然、KT88、300B、2A3です(わたし全部持っています。)。6L6も6V6も、ああ、6CA7も入れてあげましょうね。

収拾がつかなくなるにで、オーディオ部門は諦めましょう。

楽器、
これは、また凄い世界です。
フォークギターは、ギブソン、マーティン、http://ja.m.wikipedia.org/wiki/スティール弦アコースティックギター
ピアノは、ベーゼンドルファー、スタインウェイ、http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ピアノ
ヴァイオリンは、ストディヴァリStradivarius、http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヴァイオリン
全然三つ揃いませんが……

をっと、御三家って言葉を、今おもいだしたのですが人間はとりあげません。

三大◯◯ってのもありだなあ…、いや、七不思議の一つとか。
日本観光名所三がっかり(守礼門、はりまや橋、札幌時計台だけどね。)、世界三珍味(フォアグラfoie gras、トリュフtruffe、キャビアcaviarです。)……まったく、キリがありません。
老化現象でなかなか全部、 宙で言えないのが口惜しいです。でも、いまや、いつでもネット環境があるからご心配なく……

人間って可笑しいです。
凝りだすと必ず、集め始めるのです。そして三つ位揃うといっぱしの「通(つう)」気取りです。
(1翻(イーハン)付くとリーチ(立直)かけなくとも上がれるからね。)

誰がなんと言おうと落語は……
だれもなんとも言ってないよ
志ん生、文楽、圓生だねぇ……
そうなんスか?
ぅん、みんな俺が聴く前に死んじゃったけど…

(実際には、筆者は圓生さん、志ん朝さん、談志の高座はナマでみました。文楽(8代目)さんは71年、志ん生師匠も73年に亡くなりました。わたしはハタチを過ぎてはいたものの残念ながらジカには接しておりません。もちろん松鶴師匠や米朝さんにも間に合っていますので何度か高座を拝見しております。しかし、芸は一代、亡くなるとみんなあっちへ至玉とまでいわれた芸を持っていって了う。嗚呼!だから人間は取り上げないって、さっき書いた。亡くなった人の芸を若い人はナマで絶対に聴けない……時代というのは残酷なものです。)



閑話休題



Blogの三種の神器って何でしょうか?
そりゃあ、◯食い物(グルメ)、◯子育て日記、◯シニア日記(リタイア老人(ご隠居)の身辺雑記)だね。
(ちなみに、現在、当ブログは、シニア、日記で登録しています。)


例えば、わたしがブログを立ち上げ、




「悠々自適生活に益々拍車がかかって来て、もはや三昧と謂える日々かもしれぬ。
暗いうちから起きだして般若心経を筆写する。
明るくなると外へ…
狭い裏庭を少し耕したので、水をやったり、草毟りをしたり、ハーブを摘んだり…

晴耕雨読

珈琲は必ず自分で淹れる、
学生時代から使っている鋳鉄の英国製ミル(SPONG No.1)でガリゴリ豆を挽いて…
最近は量が多いとしんどいから、小さな業務用の電動のものを手に入れた。

菜園で採れた生野菜とハーブのサラダに自前のドレッシングだ。
遅い朝食を摂りながら香り高い珈琲を呑む。

BGMに、スウィングルシンガーズの歌声がアルテックのスピーカーから低く流れている。
間もなくA面が終わる、針を上げないとな。
明日は、久しぶりにMJQの「朝日のように爽やかに」でもかけてみようか。


青春18切符のある時期は、四国霊場88ヶ所巡りにも出掛ける。
逆打ち(88番大窪寺さんから逆順に巡る)で、はじめたのは10年以上前の確か閏年だが、
ことしになって、讃岐香川県をやっと終えた。
前回は、香園寺(61番)さんに珍しく家人とともに、お詣りした。

つぎは、石鎚の横峯寺さん(60番)だ。
その道中の厳しさは先達に聞いた。
少し気合いを入れてかからぬと酷い目に会いそうである。

しかし、去年夏の雲辺寺さん(66番)は、阿波池田駅までJRの鈍行を乗継、駅前から16km 標高1,000mまで上り、
ゆっくりお参りを済ませ、
更に予讚線の豊浜駅まで10km以上歩いた。

基本的には、今まで最寄りJR駅まで列車を使い、お詣りは徒歩でと決めここまで、できてきた。

山へ行く人には嗤われると思うが、素人だから普段から足を慣らし、ある程度、気合いを入れてのぞむ。

最近は怪しくない者の証しとして
母が自分のお詣りで使った古びた袈裟をかけ、
兄の形見の数珠を提げ、
父の遺品のコンパスに道をききながら巡るようになった。」




などと綴ろう(我ながらよく書けた。)と考えたときに、

「◯JAZZ(オーディオ)」、
「◯珈琲」、
「◯お参り」、
「◯家庭菜園(含 ベランダー)」
が、

ブログ、シニア日記部門のベスト・カテゴリーだと、知ったとする(実際、そんな風潮らしい。)。
完全に典型の中の典型、パーフェクトスタンダードだ。言い換えるとこの例文は、シニアbloggerの王道 を邁進していることを如実に示している。
おらあ嫌だと、反撥する手もある(昨日までのわたしなら、そうやって生きて来た。)が、ここは、それ、1翻(イーハン)付くと喜べばいいのではないか?
開き直りとも言うが、結構ではないか。
宗旨替え(http://www.pluto.dti.ne.jp/%7Ewada/flea112.htm)と嗤はば笑えだ。


マージャンの手作りから言えば、完全先付。
先行するリーチをダマ聴で、イッパツ安目で蹴る。
鳴きまくり……
連チャンでリャンハン縛りになると、ちとキツイが、立直かければ良いだけじゃ。
手作りを愉しむ方面には嫌がられるが昔から和ってナンボというではないか。

なんのこっちゃ……

更に墓穴を掘って置く、

曰く、「健康」ネタをひとつ。

「健康診断の経費節約の為だから、威張れないが…
唯一の社会貢献として献血をしている。
健康を維持しないと採ってもらえぬから、自然と日日節制することとなる。
この正月から始めたばかりだが、既に六回を数える。
去年までは治療投薬を受けていて、できかねたのだ。
時間は十分取れるから、血小板成分献血を選択している。
成分献血は、採血後もダメージが少なく楽である。
普通、献血は65歳までの制限がある由だが、継続的にしていたら
70歳までは採ってもらえる。
なんとか満期まで継続したいと思っている。
献血した日は、少し晴れがましく、
毎回、「献血のできる健康に感謝!」とツイートする。」

これだけ面子を集めたのだから、役満にしてくれとは言わないが、せめて 2翻(リャンハン)はつけていただきたい

投了!いや校了!ロン!ロン!ローン!

寫經はコピペ時代への反命題 antithesisか
or 元祖コピペ⁈


仏陀(ぶつだ)の説(と)ゐた摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにやはらみつたしんげう)
観自在菩薩(かんじざゐぼさつ) 深(ふか)く般若波羅蜜多(はんにやはらみつた)を行(げう)ずる時(とき) 五蘊(ごうん)は皆空(みなくふ)であると照見(しやうけん)し 一切(いつさい)の苦厄(くやく)を度(ど)す 舎利子(しやありひし)よ 色(しき)は空(くふ)に異(こと)ならず 空(くふ)は色(しき)に異(こと)ならず 色(しき)即(すなは)ち是(こ)れ空(くふ) 空(くふ)即(すなは)ち是(こ)れ色(しき) 受想行識(じゆさうぎやうしき)も亦(ま)た復(ま)た是(こ)れらの如(ごと)し 舎利子(しやありいし)よ 是(こ)の諸法(しよはう)は空(くふ)を以(も)つて相(さう)にして 生(せう)ぜず滅(めつ)せず垢(あか)まみれず浄(きよ)からず増(ま)さず減(へ)らず 是(こ)の故(ゆへ)に空(くふ)の中(なか)に色無(しきな)く受想行識(じゆさうぎやうしき)とて無(な)く 眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんに)も無(な)く 色声香味触法(しきせうかうみいそくはう)も無(な)く 眼界乃至意識界(げんかいなゐしいしきかひ)も無(な)く 無明(むみやう)も無(な)く 亦(ま)た無明(むみやう)の尽(つ)くること無(な)く 乃至(なゐし) 老死(らうし)も無(な)く 亦(ま)た老死(らうし)の尽(つ)くることも無(な)く 苦集滅道(くぢゆうめつだう)も無(な)く 智(ち)も無(な)く 亦(ま)た得(とく)も無(な)し 得(う)る所(ところ)無(な)きを以(も)つての故(ゆへ)なり 菩提薩埵(ぼだひさつた)は 般若波羅蜜多(はんにやあはらあみつたあ)に依(よ)るが故(ゆへ)に 心(こころ)に罣礙(けひげゑ)無(な)し 罣礙無きが故(ゆへ)に 恐怖(くうふう)有(あ)ること無(な)し 一切(いつさひ)の顛倒夢想(てんだうむさう)を遠離(をんり)し 涅槃(ねはん)を究竟(くぎやう)す 三世(さんぜ)の諸仏(しよぶつ)も 般若波羅蜜多(はんにやあはらあみつたあ)に依(よ)るが故(ゆへ)に 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさんばうだひ)を得(う)る 故(ゆへ)に知(し)る般若波羅蜜多(ぱんにあぱらあみつたあ)は 是(こ)れ大神呪(だいじんぢゆ)なり 是(こ)れ大明呪(だいみやうぢゆ)なり 是(こ)れ無上呪(むぜうぢゆ)なり 是(こ)れ無等等呪(むたうだうぢゆ)なり 能(よ)く一切(いつさい)の苦(くふ)を除(のぞ)きて 真実(しんじつ)にして虚(こ)ならず 故(ゆへ)に 般若波羅蜜多(はんにやあぱあらあみつたあ)の呪(ぢゆ)を説(と)く 即(すなは)ち呪(ぢゆ)を説(と)ゐて日(いは)く羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ぎやてひ〃はあらあぎやてひはらさうぎやてひばうじひさうはか)般若心経(はんにやしんぎやう)※機種依存文字があり「菩提薩埵」は「土垂」、「罣礙」は「四圭」である。



ーー以下は 2015年5月11日 追記しました。

お写経(一般的には経文の筆写を指すが、ここでは般若心経の筆写の謂)は、やりだすとけっこう面白いものです。
こんな歳(筆者は現在満年齢で63才である)になるまで、筆など持つこともなかったが、今は筆ペンと云う便利なものがあり、墨をすらず、穂先のみだれも気にせず書くことに専念できるので簡単に始めることができます。(別に筆にこだわることなくボールペンでも、鉛筆でも万年筆でも構わないと思います。)
用紙も贅沢を言わなければ、100均SHOPで、そこそこの専用のものを手本付きでいつでも贖うことができます。

右為以下を為書きと呼ぶようだが、筆者は日々の心境、祈り、願いなどを気儘に書かせていただいている。
書体は、所謂手本(一番流布している、安価な用紙セット(100均SHOPにある)にも付いてくる)を基本に色々変遷したが現在は写真の書体で書いています。
勿論、時々初心に戻る為楷書でも書きます。
慣れと運筆というかスピード感の問題があるので、自分にあった書体を自由に選んで良いと思います。

般若心経を書いたものは所謂、名筆家のものがたくさん残っているので、気に入ったものを真似てみるのも一興でしょうか。

(2nd June 2015 追加した。)
これは、あの王羲之の書体を集め般若心経としたものの冒頭部分です。つまり、王羲之自身が心経を写したことはないのですが、このようなものまであります。息を呑む上手さですね。

筆者は、半跏思惟像(彌勒菩薩 オンマイタレイヤソワカ)の木像で有名な京都太秦の広隆寺に空海筆として伝わる「破体心経
」が好きです(このアカウント@hannyashingyo88によるTwittも筆者によるものです)。

(書写の勉強にと思い、般若心経の所謂名筆家による書跡を集めていたらどんどん増えました。手近にあるものを虫干よろしく並べてみたら、こんな具合です。新刊で簡単に入手できるものがほとんどですが、ネット上でも見かけなくなった貴重なものもあります。

(2015/06/04追記)

心経の書跡に興味をもつきっかけとなった「破体心経」(京都太秦広隆寺)は経本仕立。

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筆写するだけでもけっこうはまりますが、最終行を筆者なりにちょっと読み砕いてみました。
羯諦、羯諦。波羅、 諦。波羅僧、羯 諦、 菩提娑婆啝。( 行っちゃう、いっちゃう。ワタシ、イッチャウ。一緒に行ってよ、 あへー、あーはッハーッ)」って解釈は如何であろうか。
この部分は表音表記されて居ると謂うのが通説で原語でも意味がはかりかねるので「呪文」で訳さないのが良しとされているようですが…
敢えて訳したものも「行こう、〃。向こう岸へ云々…」と誤魔化していると感じるものが多い。
此れだと拙訳に近いと言えなくも無いですが…
仏陀(釋迦)が達した境地の表現ともいわれているので興味はそそられるところではあります。
日本の坊さんは、
「ぎゃあてい、ぎゃーてい。はーらぁぎゃていはらそうぎゃぁてい、ぼーじぃそぉわかー」
と唱えておいでですがサンスクリットですから、
「がぁてー、がァてぃ。ぱーらーがぁテぃ。ぱーらースンがぁてぃ、ボーディン すーヴァはー」
とでも読めばいいのかも知れません。
呪文であるから正確に過ぎるに如(し)くはないとおもいます。
どうでしょうか、なんだか印度方面の彫深(ほりぶか)の美女が喘いでいるようにきこえないでしょうか。
最後の「スーば、はーっ」が、実に、ままですよね。
ものの本によると、この部分を印度への旅の行き帰りに玄奘三蔵(夏目雅子がTVドラマで好演した)は、唄うが如く唱えて居た由です。
実にそそられるではありませんか。この部分を繰り返すことにより、あらぬ方面に氣を遣った男がいたとしても宜(むべ)なる哉でしょう。
ちょっと砕きすぎました。
反省。
以上のことを、旧い友人に戯れにメールで書き送ったところ、ちかぢか、その友人が高野山大學で學ぶ院生にこの拙訳を開陳してくれる手筈となりました。その感想が待たれるところです。
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以下は、2015年5月17日に追記しました。

解析「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」
頻出文字、文字列について頻度を数えてみました。

観自在菩薩行深
「般若波羅蜜多(以後 5回出現)」
時。
照見五蘊皆「空(以後 7回出現)」。
度一切苦厄。
「舎利子(以後 2回出現)」
「色(以後 6回出現)」「(以後 8回出現)」異空・空不異色・色即是空。
空即是色。
受想行識亦復如是。
舎利子。
是諸法空相。
不生不滅。
不垢不浄。
不増不減。
是故空中。
「無(以後 21回出現)」色無受想行識。
無眼耳鼻舌身意。
無色声香味触法。
無眼界。
乃至無意識界。
無無明。
亦無無明尽。
乃至無老死。
亦無老死尽。
無苦集滅道。
無智亦無得。
以無所得故。
菩提(以後 3回出現)薩埵。
依般若波羅蜜多故。
心無罣礙。
無罣礙故。
無有恐怖。
遠離一切顛倒夢想。
究竟涅槃。
三世諸仏。
依般若波羅蜜多故。
得阿耨多羅三藐三菩提。
故知。
般若波羅蜜多。
是大神「呪(以後 6回出現)」。
是大明呪。
是無上呪。
是無等等呪。
能除一切苦。
真実不虚。
故説般若波羅蜜多呪。
即説呪曰。
「羯諦(以後 4回出現)」羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶。

般若心経

いかがでしょうか?
「無(无)」の 21回出現は圧倒的である。心経が無の文学、無の哲学と呼ばれるのも無理からぬことだ。
次が 8回の「不」である。これは否定文が多いのを表している。
続いて「空」の 7回。
「色」6回、「色即是空。空即是色。」の部分があまりにも有名だが、対で使っている。

注目すべきは「呪」の 6回ではないだろうか。

無(无)」と「不」で打ち消しと否定をうだうだくり返すというのが、ほぼこの心経の本質なのである。日本語の曖昧表現にも通じるし、たぶんに日本人好みなのかも知れぬ。
「でないともいえなくもないし、でないといえるとはいえない。」みたいな、

若い人たちが多用する「でなくなくない?」に通じるどっちつかずで下駄をあずけてしまう狡さが、この経文を覆っているようです。

しかし、クライマックスである呪文「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶。」の直前でくりかえし「呪」である。

呪はシャーマンである。のろいである。古来、為書きには写経願主の願いを書いた。確かに言葉は力を持っている、経文の文字列も自ずからある種霊力を持っている。故に「打倒アベ政権」を為とし百枚くらい写せば、それは叶うかも知れぬが…。
国の行く末を憂いはするが、そんな不確かなのろいをかけるのに費やす時間が惜しい。

過日、ため書きに一枚、おもいを込め「鯉軍勝利」と書いたが、その日、広島カープは連敗を止めた。(冒頭においてあるのはその一枚です。)





2015年6月9日追記:

お写経について書いてきたが、書くことが、なか〃尽きない。
別稿を設けたが良いのだが、出し惜しみするのは氣がひけるので、チャチャっと書いて了うが…



だいぶたまっているので、 いま 数えたら手元にあるだけで108巻あった。
多分、お寺さんへ納めさせていただいたのもあるので、ざっと200巻位写したことになろうか。

200回の筆写に耐える文章を私は他に知らない。
やる人は1,000でも二千でも何巻でも書く。
1日十巻、三月で千巻書いて隅寺へ納めた沙門空海(弘法さんとは別人だ。)さんもいる。

まあ、宗教というか、現世利益を求める者がほとんどだろうが、
その実よくはわからない。


お経を写せば良い事がある

というのであれば、
他のこと(多額の布施をするとか、困難な修行に挑むとか…)に比して、ごく、簡単なことに思えます。
大体、丁寧に書いても30分から一時間で書けて了うのですから……
ちょっとムシが良過ぎます。

大方、こんなところが、お写経の根強い人気を支えているのかもしれません。


わたしの父親は既になく、今年が17年忌でした。
最晩年になるまで、便箋に万年筆で几帳面な文字で何百枚も書いていたらしい。
最近になって母がそれを見つけました。

母は母で四国霊場88ヶ所や、中国観音霊場33ヶ寺を巡り、ほとんどすべての霊場で写経を納めたらしいから
確実に250巻以上は書いたようだ。
今はもうよる年波で書けないと歎いています。
計算は、(88+33) X 2
である。
一ヶ所に大師堂と本堂があり、
お大師さんと、ご本尊さまに一巻ずつ、二巻納めるのが通例だ。

また、父方の祖母は朝晩、心経をマッチの軸で回数を数えながら仏壇に向かって、ひたすら読誦していました。
一回一本で十本で位あがりで数えていたようだから、少なし、 何十回か百回か。


よくは、わからないが、
わたしには心経をおぼえようとした記憶がまるでない。

勝手に口がツル〃唱える。
実際に覚えてはおらんらしく、意識すると、やたらつっかえるし、間違う。

何かが、どこかから降りてきて憑依して口が勝手に動くというとわかりやすいかも知れないが、
こういうことを謂うと、
実に怪しい感じに
受け取られるから困ってしまう。


先祖が生活(くら)すうちどこかで、DNAに、 心経がすり込まれたとかに違いない。



追記:この稿は、友人に打ったメールを少し弄ってそれ(blog)らしくしただけのモノです。
ひとまず、脱稿します。
2015/06/09早朝、寫経を終えて…



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